実践人誌2023年9月号に掲載されました。
『石田先生事蹟』などから、梅岩先生(勘平さん)の先祖の偉業、生誕から23歳で京都の黒柳家に奉公するまでを綴っています。
先祖は戦国時代、現在の亀岡市東別院地区を治めていた石田氏に仕えた武士・曾和市郎兵衛。その次男が石田姓となり、五代のちに梅岩先生が、農家の次男として生れます。
幼少期は理屈屋で、友人関係も円滑ではなかったようです。
11才で京都へ丁稚奉公に出るも、故有って、15才で生家に戻り、23歳で再び、商家に勤めることになります。
「もし聞く人なくば、たとえ辻立ちしてなりとも我が志を述べん」
神道を広めたいとの思いから、高い心願を有して亀岡の東掛(とうげ)を出立し、京都へ赴いたのでした。
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