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石門心学風土記 第18回 備前の国 博習舎

  • 執筆者の写真: 大和商業研究所
    大和商業研究所
  • 2021年1月22日
  • 読了時間: 2分

岡山県瀬戸内市に「石田梅岩先生之碑」在り

京都から遠く離れた旧邑久町長船町服部に何故、石田梅岩先生の碑が残されているのか。全国で石田梅岩先生の碑を建てているところは、京都・大阪以外では聞いたことがない。

ここ備前の地には「博習舎」があった。心学のご聖地である京都から、摂津・播磨という心学隆盛の地を通ると、そこが備前である。言わばここまでは心学の大通りであり、備前の心学社中が先師を慕う熱き思いにより「梅岩碑」を建立したのであろう。

博習舎創設の舎主は小山与一兵衛(光武)。京都で心学を学び、近郷の者に道話を語って聞かせた。碑の建立は梅岩先生の開講百年にあたる文政十二(一八二九)年。先師の京都での私塾創始を記念し、「博習舎」社中のみならず、備前・備中・美作や京都など各地の同志に呼び掛けて祭祀を営んだ様子が目に浮かぶ。梅岩先生の碑は、小山一族や地域の人々に守られてきた。

心学者「有難与一兵衛」

小山与一兵衛は、この地の富農で、京都で手島堵庵の門に学んだ彼は、帰国すると、常に近郊の者に道話を語って聞かせ、不心得者があれば、その家を訪ね懇切に説諭を加えて善導に導いた。また自分の費用で茶菓を用意して講話の会席を設け、村人を集めて道話を聞かせるのを楽しみとした。

 彼は「ハハッ有難い」というのが口癖で、災難に遭っても「大難が小難で済んで有難い」と感謝した。そのため人は、彼を「有難与一兵衛」と呼んだ。

 彼の道話の聴聞希望者は日を追って増加し、寛政年間(一七八九~一八〇〇年)には門人は二百人を超えたという。文化八(一八一一)年頃、博習舎を創設した。

 この地を訪ねた私が石碑に拝していると、声をかけて来た方がおられた。碑の直近にお住いの小山裕之氏だ。与一兵衛に連なる小山一族で、約二〇〇年間、毎年七月十五日に、近隣の人々で祭祀を行ってきたとのこと。裕之氏には、与一兵衛の生家、墓地にも案内頂いた。

今日まで梅岩師碑が廃されることなく守られてきたことは、地域の人たちのお陰と、有難与一兵衛に成り変わり、「有難い」と感謝申し上げたい。

 梅岩先生のご遺徳と、備前の偉人・小山与一兵衛の功績が、多くの人に伝わることを願ってやまない。


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石田梅岩魂を現代に

このサイト「石田梅岩魂を現代に」は石田梅岩に関する情報を自分のビジネスに活用して頂くために大和商業研究所が提供しています。このホームページで梅岩の真髄に触れ、自身の中に有する潜在的な力を引き出していただくことが「梅岩力」の意味するところです。

「永続的に栄える」とは

石田梅岩先生の願いはただ一つ。

人も組織も永続的に栄えること。

その為には偉人・聖人に学べ

ということです。

先生の著書『都鄙問答』『斉家論』で、

その思いが各所に出てきます。

一例

「商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れて仁心を以って勉め道に合(かの)うて栄えるを学問の徳とす」

(都鄙問答)

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