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石門心学風土記 第16回 近江の国 好善舎

執筆者の写真: 大和商業研究所大和商業研究所

子孫へ書き残した心学道歌

とがむべき 我が身のうえは おこたりて

人のことのみ おもう愚かさ


この歌が意味する内容は、多かれ少なかれ、誰にも思い当たる耳の痛い指摘ではないだろうか。近江の心学者、小島伝兵衛が六十歳を前に詠んだ「子孫教訓」の道歌である。

この度、明誠舎社中の中島敏氏の案内で小島家を訪ね、そこに大切に保管されている、「好善舎」の扁額、手島堵庵像、心学関係資料などを拝見し、お話を伺った。

小島の先祖は備前国(岡山県)児島郡の出身で、近江の佐々木氏に仕えた後に、八日市(現東近江市)で酒造業に携わり、いつの頃からか薬種業に転換する。伝兵衛の代の天明4(1784)年頃、都講の一人として石門心学「好善舎」を開いた。『諸国舎号』の八番目に掲載される早期の設立であった。伝兵衛は近江に於ける始祖から六代目に当たり、子孫は現在も薬局・ヤクデンを経営しており、創業四百年くらいになるという。心学の教えが、代々の経営者に伝承され、遺品が今日まで伝わる。

近江で石門心学が栄えた理由

江戸時代、近江の心学舎は次の六舎であった。成立順に、温恭舎(彦根市)、好善舎(東近江市)、方來舎(甲賀市)、汎愛舎(近江八幡市)、忠告舎(大津市)、教養舎(大津)。

京都商人と近江商人は商売上のパートナーであった。近江では商道徳を説く家訓が子々孫々に継承され、永続的に栄える商家が多数残る。石門心学発祥の地の隣国として、梅岩師の教化を見聞きする機会も多かったと推測する。

 梅岩の高弟、手島堵庵の生家「近江屋」は八日市、慈音尼は草津の出身。心学興隆の旗頭・上河淇水は八日市生まれである。

手島堵庵の書になる好善舎の扁額 また中井源左衛門(日野町)、矢尾喜兵衛(日野町)、たねや(近江八幡市)、叶匠寿庵(大津市)など、幾多の商家に心学の水脈が伝わる。

 「たねや」の三代目山本徳次氏は語る。「私は近江八幡生まれで、小学校も戦後ですが、仁・義・礼・智・信・誠・勇という組分けでした。石田梅岩の『心学』に傾倒した近江商人の名残りだったのでしょう」(『商いはたねやに訊け』)。

 梅岩先生の唱えた「先も立ち、我も立つ」の商人道精神と、近江商人の「三方良し」は、双子の経営哲学とも言えよう。なお三方良しは小倉榮一郎氏(滋賀大学教授)が1988年に発案した言葉であることは、余り知られていない。




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「永続的に栄える」とは

石田梅岩先生の願いはただ一つ。

人も組織も永続的に栄えること。

その為には偉人・聖人に学べ

ということです。

先生の著書『都鄙問答』『斉家論』で、

その思いが各所に出てきます。

一例

「商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れて仁心を以って勉め道に合(かの)うて栄えるを学問の徳とす」

(都鄙問答)

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